2012年5月25日 (金)

人生の肉声に迫る-斎藤茂吉短歌文学賞を受賞して- 篠 弘さん

 篠 弘さんの新聞寄稿の紹介は今日で終わりそうです。例によって〈 〉内が新聞の本文になっています。

〈・ わが生はかくのごとくけむおのがため納豆買ひて帰るゆふぐれ 
 誰からも干渉されない老いの気楽さで、人生に対する過剰な思い込みが無くなる。 
・ わが色欲いまだ徹かに残るころ渋谷の駅にさしかかりけり 
 色欲もあった時代を慈しむ歌。いまや病床に伏せながらも、恋人の住む渋谷へ向かった、かの臨場感を如実に楽しむかのようだ。
 この「つきかげ」が好評なのは、読者が高齢化して、茂吉の老境が身近に感じられるようになった、その変容ばかりではない。
 茂吉が綺麗事ではない、平俗な素材や物言いを取り込み、微苦笑を誘うという、ユーモラスな領域が拡げられたからである。それにともなって、諧謔ばかりではない、内面的な祈り、怒り、諦め、僻みなど、とかく詠み難かった老いの心境詠が熟成したからにほかならない。その事実に気づいてほしい。 (歌人、日本文芸家協会理事長) 

 篠さんの寄稿文を読み返すと、詠み手の飾らない心境や言葉が読む人に共感や感動を与える事が出来る。と解釈できそうです。
 自分が短歌を詠む際にありがちなのですが、自分の気持ちに執着し過ぎるあまり、「そうですか、だから何なの」と言われそうな作品が多いようです。まだまだ修行が足りません。

 ブログとは言い難い此の度の新聞転載シリーズにお付き合い頂きありがとうございました。サンクス♪(o ̄∇ ̄)/


 
 

2012年5月20日 (日)

人生の肉声に迫る -斎藤茂吉短歌文学賞を受賞して- 篠 弘さん

〈・・・ この最終歌集「つきかげ」は、1948(昭和23)年から52年までの作品を収録。茂吉は53年に70歳で長逝したが、死の迫った数年前の作品が、とみに近年に至って、現代歌人の注目と関心を集めている。川端康成が愛誦した「いつしかも日がしづみゆきうつせみのわれもおのづからきはまるらしも」(初出「アララギ」52年2月)といった、辞世に似た悲痛な歌の傾向ではない。これまで述べてきたような、老いの日常から自在に発せられた、無為なる心境がもつ魅力である。
人間は予感なしに病むことあり癒(なほ)れば楽しむほなればこまる
 いちずに老躯に耐えるもので、下句は当然のことを言い切った、その知覚がずぶとい。
この体古くなりしばかりに靴穿きゆけばつまづくものを
 山形では地下足袋を穿いていた。帰京して、靴の重さにとまどうトラブルを素直に隠さない。
税務署に届けに行かむ道すがら馬に逢いたりあヽ馬のかほ
 納税の申告には、表情を変えない馬面で行くよりはほかないという、鬱屈した気分。・・・〉

 このシリーズになってから〈 〉内が新聞記事を転載したものです。 記事はもうすこし残っていますが今日はここまでとします。残りの記事内容は、「つきかげ」から2首を引き合いに出して篠弘さんが解説、そして結語になっています。
 

 寄稿した篠弘さんは、時代が変わったのだから格式ばった短歌でなくてもいいのですよ。身近な出来事を気楽に、場合によってはユーモアを交えて詠んで下さいね。 とおっしゃりたいのだと思います。
 と、勝手に解釈してしまいましたが、数年前から短歌というものを何もわからず始め、歌会などにも所属していない私にとっては励みになります。m(_ _)m
 

2012年5月17日 (木)

人生の肉声に迫る-斎藤茂吉文化賞を受賞して- 篠 弘

5月9日付山形新聞・文化欄(前回の続き)

〈・・・ この事は斎藤茂吉の場合も例外ではない。茂吉の晩年の歌集「小園」「白き山」「つきかげ」の3冊から、それぞれ1首ずつ引くが、こういうユーモラスな歌の方が、現代人の感性に合うものになろうとしている。
あかがねの色になりたるはげあたまかくの如くに生きのこりけり
人皆のなげく時代に生きのこりわが眉の毛も白くなりきに
ひと老いて何のいのりぞ鰻すらあぶら濃過ぐと言はむとぞす
 茂吉は63歳で敗戦を迎える。この1,2首目は、戦後も何とか生き残ったことを詠んだもの。1首目は、すっかり禿げ頭になったさまを自嘲し、みずからの老残の姿を滑稽に詠む。2首目は、まじまじと白髪の眉毛を見据えて、身の衰えを自認する。この2首の背後には共に敗戦があるが、生き永らえたことを悔しむかのようである。
 茂吉の鰻好きは有名で、「小園」にも「これまでに吾に食はれし鰻らは佛となりてかがよふらむか」があり、成仏したことを茶化したりする。しかし3首目は、加齢につれて脂っ濃いのが苦手となり、予期しなかった弱みや諦めが出始め、老ゆるいのちの望みや祈りを自問自答するさびしさがあらわれる。・・・〉

 
 昭和天皇にも短歌を講義していたという短歌の巨人・斎藤茂吉でも老齢に至ると自分達の周りにいる老人たちと何ら変わらない心情になるようですね。
 今日転載した記事内容の続きはもう少し残っていますが次回にしたいと思います。m(_ _)m
 

 

2012年5月13日 (日)

人生の肉声に迫る-篠 弘 さん-

 『斎藤茂吉短歌文学賞を受賞して』の副題とともに篠さんの短歌論が新聞掲載されていました。時代と共にまた読む側の視点も動くという興味深い内容だったので紹介したいと思います。

〈 時代の動きによって、短歌は変わってくる。作歌ばかりではない。読む側の趣向や視点も動いてくる。長引く不況、相次ぐ被災にあえぐ視点において、一層その変貌は著しい。
 一言でいうと「きまじめ」が嫌われている。まっとうに人生を問う、大仰な詠み方が排されている。老境を詠んだ近代秀歌について、すでに「溢れる人間味」(「短歌」2011年3月)で触れたが、大声で訴える歌は好まれない。ことさら身構えたものではない、その瑣事(さじ)や私事を自然体で詠むことによって、おのずから人間味が滲む歌に目が向けられてくる。・・・ 〉 

 以上〈 〉内は記事本文ですが、何処かの歌会で「ケータイ短歌は大喜利のようだ。」との意見が出た、と聞いたのを思い出しました。短歌はケータイ短歌が始まりだった私には篠さんの意見が心強く思えます。
 これからも自分の身の回りの出来事や想い出を自然体で詠んでいこうと思います。

 篠さんの記事は斎藤茂吉の晩年の歌を例に挙げこの後も続いています。大歌人の晩年の歌はユーモラスで好々爺の雰囲気がよく出ていますが、篠さんの解説と共に後日掲載を予定しています。
(._.)アリガト

 

 

2012年5月11日 (金)

森村誠一の♪♪音俳句

5月10日、NHKラジオ第一放送・つながるラジオで、タイトル通りの番組がありました。
兼題『ひばり』で一句採用して頂きました。

chick 借りた金思い出させるひばり哉 <瑞雲>を名のりました(勝手に・・・)。

雲雀の聞きなし「日1分、日1分。利取る、利取る」を参考に、昔借りたお金を返していなかった事を思い出していました。

森村誠一さんには昨年の音俳句『落ち葉』でも添詠して頂きましたが今回も添詠して頂きました。放送では「添詠と言うより対句になるかな」との解説もありました。という事で森村さんの添詠。
    貸した金返せ返せと揚げひばり<森村誠一さん添詠>

私の心象の句と森村さんの現象の句を並べてみると俳句に対する理解度の差が歴然のようです。森村さんの方がすっきりしているのに奥が深く風景も見えるようです。

個人的見解ですが俳句はあまり自分を出さない方がいいような気がします。
俳句に詳しい方のご意見をお聞きしたいと思いますが、アクセスが少ないから無理かな?(*^m^)

 

2012年5月 5日 (土)

ほんとうに 短歌

中休みもありましたが穂村弘さん(歌人)と池上冬樹さん(文芸評論家)の対話は今日で最終回です。

ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は〉・穂村弘

池上:僕のいちばん好きな作品。短歌を始めたきっかけは。穂村:大学生の時、何かやってみたいな、定型があった方がやりやすそうだなと思った。俳句と短歌で、長さや形式の違いから発生する違いは思った以上に大きい。短歌は自分への執着が強い人向き。俳句は、どこかで己を無視したり断念できるセンスのある人でないと本当にいい句はつくれないのでは。個人的にはそう思っている。

最後の穂村さんの言葉は、以前のブログかツイッターに載せたかも知れません。穂村さんは個人的意見としていますが的を射ていると思い今回も書き留めました。私も俳句短歌両方をやっています。穂村さんの言葉は作品をつくる時の参考に出来ると思います。頭を上手く切り替えられるかどうかは微妙ですが・・・( ^ω^ )

2012年5月 2日 (水)

ほぼ俳句 

いつもの投稿先、つぶや句575のつぶやきtwitterで採用句がありました。この度のテーマは『動物』ですが・・・

punch 北海のラッコ拳法アタタタタ

私が何をイメージしたかお分りでしょう。そうです“北斗の拳”です。くだらないとお思いでしょうが、ラッコが貝を打ちつける速さはケンシロウにも匹敵する。

つぶや句575については毎回言っている事ですが、ほぼ俳句ということで型に捉われなくて好きです。相も変わらず、下手な鉄砲数打ちゃ当たる。ですが、他の句も放送されると嬉しいです。(o^-^o)

2012年5月 1日 (火)

歌人・穂村弘と文芸評論家・池上冬樹の対話から

山形新聞記事の続きです。

池上:エッセーも面白い。日常、身辺の話題なのだが、やはり言葉のカテゴリーを超えて語っている。穂村:もともと言葉が飛躍してしまうタイプなので、地に足をつけて書くのが大変だった。イメージがジャンプし過ぎてしまうから、読者によっては意味不明になりかねない。ジャンプしやすいという事は、言葉の方が自分より強いという事。そういう人は詩人になるし、言葉に対して支配的になれる人はエンターテイメントを書く。 テキストを読んでいる時、僕にはそれが言葉の連なりに見える。おそらく多くの人はその背後に、人間や人生、動きを読み取っているのだと思う。僕はそこには意識がいかず、例えば「である」調だった文体が突然「のだ」に変わることがものすごくビビッドに映る。

今日は記事そのままダラダラと書いてしまいましたが、省略できない内容に思いました。御容赦下さい。(*_ _)人ゴメンナサイ

2012年4月29日 (日)

「許さない」 短歌

山形新聞記事:穂村弘さん(歌人)と池上冬樹さん(文芸評論家)の対話から

「許さない」と瞳(め)が笑ってるその前にゆれながら運ばれてくるゼリー (穂村弘)

池上:微妙な心理を、ゼリーのイメージに定着させる力が素晴らしい。穂村:固い物は揺れずに運ばれてくるし、ゼリーは揺れながら運ばれてくる。そんなことはみんな知っている。注文したものがきちんと運ばれてくることが社会的には重要で、それが揺れながらやってこようが揺れずに来ようが問題ではない。そういうフィルターを幼児の頃から心にかけられている。そうしないと能率が悪くなるから。もし、商談の席で「部長、今揺れてますよ」と言えば「関係ないだろ、ばか」となる。「揺れている」と思うやつは駄目な社員。僕も会社員をやっていたが、フィルターからこぼれるものばかりに意識がいっていた。

武道関連の本を読むと“居つくを嫌う”と言っているものを目にします。また、名前は忘れましたがプロゴルファーが、“狭い所においしいものがある”という言葉を聞いた事があります。魅力ある言葉というものは、コップに水を静かに注ぎ溢れるか溢れないかのギリギリの際にあるのかもしれませんね。・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

2012年4月22日 (日)

短歌休題 オトナの補習授業~俳句~

過日、4月17日夜、NHK第一放送のオトナの補習授業~俳句~お題「ぶらんこ」で入選する事が出来ました。

無邪気にはこげなくなった半仙戯 <勝村政信さん 選>

俳句の世界の ▽ぶらんこ、には色々な呼び方があるそうで、私が使った半仙戯もその一つ、他にも ▽ふらここ、▽鞦韆、▽ゆさわり、と言うそうです。ぶらんこ以外の言葉は俳句の募集段階で初めて知ったのですが大人になったから覚えた言葉でもあり、ブランコが楽しいだけの子供とブランコに乗るには何かいわくがあるのであろう大人とを対比してみました。

俳人の夏井いつきさんが勝村さんの俳句や選句を聞いていて「性格が判るよね」とおっしゃっていましたが、勝村さんと私の性格も似ているかも知れません。自分自身は少しへそ曲がりで自虐的、影が在ったりわけの分らないものが好きな所。(。・w・。 )

穂村弘さんと池上冬樹さんとの対話シリーズは次回再開の予定です。

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